その後、とは言っても、昨日のエントリで紹介した電車男の話の続編が出たわけではない。タイトルからそういう期待を持ってしまった方、ごめんなさい。
一夜明けて、引き続き電車男の事をつらつらと考えている。話の中身もだが、やはり、2chでああいうことが起こり得るというのが俄かに信じがたく、そのあたりをうだうだと考えている。これが、梅田さんの言うところの、ネット世代とPC世代を隔てる「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数に対する信頼(トラスト)の有無」だろうかと考えたりもしてみる。
私も自分ではぎりぎりネット世代のつもりだが、私には、ここまで自分にとってクリティカルな問題をいきなり2chに放り投げる勇気は無い。そこまでの信頼は無い。もちろん、私だって、ネットワークの不特定多数から助けられたことはある。が、それは不特定多数とは言っても、同好の士であったり、友達の友達であったり、何らかの色付けのあるコミュニティである。もう少し、無色に近い場合もあるが、その場合でも返事をくれるのは、たとえ何所の誰かは分からなくても、少なくともハンドルネームは持った個人である。その点で電車男と2chの「名無しさん」達との間のコミュニケーションとは大いに異なる。「名無しさん」達とのこのようなコミュニケーションに関しては、もはや、完全に私の想像の範囲を超えてしまっている、としか言いようが無い。そういう意味において、同じ信頼という言葉は使っていても、信頼のモードが違ってしまっている。
何年か前に松山太河が自分達の世代のことをe2nd(インターネット第2世代)と呼んでいたのが新鮮で、「そうやなぁ、私らとは違うわなぁ」なんて思ったこともあったが、電車男に至っては完全にe3rdの世界に突入していると言える。
電車男の話から始まって、こんなことをつらつらと考えてくると、インターネットはまだまだ変化・発展を続けていることを体感させられる。この世界はまだまだ始まったばかりで、これからどんな事だって起こり得るんだろう、という頼もしさのようなものも覚える。その点に対する信頼故に、かろうじてネット世代に留まっていられるのかも、と思ったりもする。