2006年1月アーカイブ

ライブドアは「やっちゃってたのね」という感じなので、逮捕されるのも、上場廃止になるのも大いに結構な事なんだが、取引時間を短縮するだの、監理ポスト入りだのと東証のオヤジの顔をみる度になんだかなぁ、という感じである。

そもそもライブドアみたいないい加減な会社がここまでのさばる大元の原因を作ったのは東証ではないのか?

孫正義が「ナスダック・ジャパン構想」をぶち上げた時に、いかにも官僚が抱きそうな「孫正義憎し」の一念だけで、「ナスダック・ジャパンが開設される前に」という以外の事を一切顧みず、拙速に粗悪市場を発足させた東証の責任は問われなくていいのか?

その結果、上場第一号企業のリキッドオーディオはとっくの昔に大爆発しちゃってるし、上場第二号のライブドアはこの体たらくだ。

ライブドアがとった多数の合法的手段をさも悪事のように繰り返しわめいてる暇があったら、この事をもっと追求してくれ。時価総額経営の終焉とかアホなこと言うなっちゅうの、既に白色矮星化してるCash Cow企業ならともかく、上場して数年の会社がそれ目指してなかったら、そっちの方が詐欺だっちゅうの。

とにかく、日本の新興企業のIPOはIPOの本来的な目的であるはずの資金調達という性格の薄いものが多くて、なんだかなぁなのだ。「資金需要も無いのに上場したというのは創業者の所有株式に流動性を持たせるためだけですか?」と言いたくもなるというものだ。IPOで集めた金は銀行に眠らせたままで「本業」に精出している会社よりは、金を集めてしまってから付け焼刃的に考えたこととは言え、また、それゆえに単にあれこれの会社を買い集めるだけで本業がいつまでも虚業であったとは言え、「集めた資金の使い道がある」というこの一点において、ライブドアの方がまだしも方向性としてある意味「正しい」と言えると思うのだ。

しかし、私はライブドアとか堀江某を擁護したいわけでもなんでもないわけですよ。以前も書いたように、堀江なんか大嫌いだ、と言える世の中に早くなって欲しいと切に願う今日この頃なわけです。

渋谷区役所近辺で所用を済ませ、NHK前のだらだら坂を下っている最中にやってしまった。
ブレーキをかけつつやや大またに踏み出したところで「グキッ!」と来た。
が、ぎっくり腰とは違うようだ。腰回りに違和感ありまくりだが、感触的には背筋の筋を違えたような感じ。
ただ歩いているだけで、情けない....

上達

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雪の日に季節外れも甚だしいが、夏休みの写真である。
去年の夏休みに撮ったものだが、その1年前から比べると長足の進歩である。2004年に行った時は、文字通り朝から晩までプールに入っていて、食事とか買い物とかに出かけようと説得するのに一苦労だったのだ。だから、ある程度自由に泳いだり潜ったりができるようになった2005年は一層プール三昧の日々となることを予想して、プール設備最重視でホテルを選んだのだ。

が、今年は1時間かそこら泳ぐと、「疲れた」とか「寒い」とか言い出すのだ。「はぁ?」去年はくちびる紫色にしつつ「もっと泳ぐ」と言ってたではないか。あの時の方が100万倍寒かったではないか。たくさんあるプールで一日中過ごしてもらえると思っていた当てが外れると、ホテルもあちこち粗が見え始める。なんか、馬鹿でかいばかりで張りぼてくさいし、これまた子供に受けると思った電車及び船でのホテル内の移動も待ち時間が多くて煩わしい。それに比べると去年(2004年)のホテルは着いた瞬間からWelcomeの空気が満ち満ちてたよなぁ、なんて思えてくるし...極め付けは最終日Keauhouにシュノーケルに行った時だ。駐車場に車を停めて「さあ、行こう」という段になって、「車で待ってるから、行ってきて」などと言い出したのだ。その時はすごすごと一人で行きましたとも(寂)。

というわけで、「上達したからといって、ますますのめり込んでくれるとは限らないのね」というやや「とほほ」な夏休みを過ごしたおじさんとしては、浅田真央は今年オリンピックに行かんといかんかったのになぁ、と思わずにはいられないのであった。

大雪

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昨日は東京にしてはなかなかの大雪でした。目が覚めたら積もってた、というだけならもっと積雪の多い朝もあったように思いますが、昼間の間降り続いて、車の往来の激しい通りが夕方になってもまだ雪景色というのは記憶にありません。
おかげで雪だるまも何度も作れてしまい、お父さんはお疲れです(で、昨日早く寝たので、日曜にもかかわらずこんな時間から起きています^^;)。うちの子相手では物足りない雪合戦も小学生たちとやると気合が入ってしまい一層疲れました。

ワインの味わいというのはどの程度意識的にdesign或いはarchitectできるものなのか?

去年最も印象に残ったワインの中の一つ、Colgin 1992を飲んだ時に頭をよぎったのがこのことだった。

多くのワインメーカー達が口を揃えて言う台詞に「ワイン作りの殆どは畑で終わっている」というのがある。悪く言うと、ドカンとボールを打ち上げといて「行き先はボールに聞いてくれ」というような、ちょっとJohn Daly(失礼)的印象を与えかねない言葉だ。しかし、一流と言われるワインメーカー達は単に飛距離だけではなく、タイガーウッズ的に精緻なボールコントロールにも喩えられるような味わいの表現で、我々を魅了してくれる。
しかし、自然を相手にしている以上、タイガーウッズとて強風に流されるボールを見つめつつ「行ってくれ」と祈る瞬間が皆無ではないのと同様、たとえ一部で「人工的」「画一的」と揶揄されがちなワイン作りであっても(そうで無い場合は尚更)「ブドウに聞いてくれ」的側面を皆無に出来ないのは言うまでも無い。
ところが、このワインを飲んだ瞬間に連想したのはタイガーウッズ的ボールコントロールどころではなく、誘導ミサイルがピンポイントに定めたターゲットに向かって飛んで行くようなイメージだった。「アタックがE-3で余韻がF-6ですから、そこに至る中間部は4.2deg/secで8秒間テーパリングしておきました」という風に味わいを「作った」のではないかと思ったのだ。
実際に、そんな「作りこみ」が可能だとは考えられないし、そのような意図すらそもそも持っていなかろうとは思うのだが、余韻に至るまでの過程にこれほど「隙が無い」ワインを飲んだことが無かった故に抱いた印象だった。

すごいワインであるのは間違い無いが、値段もすごい。今楽天で検索したらなんと98000円の値札が付いてました。

改めまして、Yさんご馳走様です。

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