一言で言うと、「味わいそのものだけからだと値段なりの価値は感じられなかった」
「若いうちに飲んでも真価は分からない」という話は何十回も何百回も聞かされていたので、そのこと自体は意外でも何でもない(飲んだのは2003年のもの)。が、一方で、あれだけの対価を是とするコンセンサスが何世代にもわたって維持されているのだ。「ひれ伏したくなる偉大さの片鱗くらい感じられるんじゃないか」という期待感があったのも事実だ。ところが『片鱗』はいまいちピンと来ず、ブラインドで飲んでたら「普通に良くできたピノノワール」と言ってたんじゃないかと思う。強いて言うと、すごくいい感じの端正さがあって、その端正さは味わいの解像度の高さから来ているような印象を受けた。この高解像度が熟成した後の味わいの広がり、複雑さに寄与するように思える、と言い切れれば、片鱗が垣間見えたことになる訳だが、本当にそう感じているのか、先入観からそう感じたような気になっているのかが我ながらよく分からない。
舌に乗せた時の感触はこれまでに感じたことのない種類のものだった。波打ち際に素足で立っていて、引く波が足下の砂を運び去っていく時のあの感触を連想したのだ。それって、旨いのか不味いのかどっちだ、と突っ込まれそうな感想だが、こっちが聞きたいくらいである。ひょっとしたら、師匠が「飲むとあまりの要素の強さに舌が口の中が痺れます」と言ってるのと同じ事を言ってるのかも知れない(が、違うかも知れない)。
味わいそのものだけだと値段なりの価値はない、と冒頭に書いたが、RC初体験という通過儀礼のお値段としては十分に価値があった。「価値がない」と実際に体験することに価値があるのであり、かつ、単なるテイスティングではなく、リラックスして楽しめる皆さんと一緒で、その上最高のお食事と共に、さらには量もしっかり8杯取り、というのであのお値段だと非常にお値打ちだったんじゃないかと思う次第。
ご一緒いただいた皆さんありがとうございました。