抜栓後○ヶ月

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年末に部屋を多少片付けようという気になって、たまっていたワインの空き瓶を大量に捨てた。大半は文字通り空き瓶なのだが、中には瓶の底に少しだけ残っているようなものもある。大抵はワイン会で美味しかったワインが飲み干されずに残っていたものを意地汚くもらってきたものだ。

意地汚くもらってきた割には、結局飲まずに放置されているのが申し訳ない気もするが、当然と言えば当然な気もする。というのも、だいたいワイン会では自分も含め皆一杯一杯飲んでいるのだ。だから美味しくても飲み干されずに残るので、家に持って帰って続きを飲むなんて事はまず無い。翌日たまたま残りを飲もうという気になることもそう多くない。そうやって数日放置されているうちに、すっかり忘れられたり、たまに思い出しても「もう逝っちゃってるだろう」と思い、あえて再度抜栓されることもなく放置されてしまうのだ。

が、捨てるとなると「一応味見してから」と思うのが我ながらケチくさい。

1本目はLatour 97。2008年5月のワイン会から持ち帰ったものだから、既に抜栓から7ヶ月だ。お酢かマデイラか、なんて思いながら口に含むと驚いたことにちゃんとボルドーである。当然97という若さはどこにもないが、ボルドーってこんな感じに枯れるよなぁ、という延長上の味がちゃんとして実に美味しい。舌がポンコツな上に量が少ないので勘違いも多少あるかも知れないが、嫌な酸化の気配は感じず、まっとうに熟成が進行した印象である。

すっかり気をよくしての2本目はMargaux 1983。何時のものかはっきりと思い出せないくらいだから、少なくとも2008年のワインではないだろうと、Latour以上に警戒しつつ口に含む。と、実にいい感じに枯れたメルロのニュアンス。これまた力強さとかとは完全に無縁だが、劣化せずに順調に枯れていった印象である。去年身長2m弱氏に飲ませてもらったLe Tertre Roteboeuf 1988を思い出した。以前に飲ませてもらった89の力強さよりも88のメルロの枯れ方が好きだと感じた、あのニュアンスを感じた。

で、このMargauxは一体何時の抜栓だったのかとデータベースを調べると、何とLatourから丸々2年前の2006年5月26日の抜栓だったらしい。Margaux 83なんてそのメンバーのその時のワイン会以来飲んでいないので、その会から持ち帰ったものであることは間違いない。丸々1年日付の入力を間違った可能性も考えたが、2007年5月には同じメンバで別の会をやってたので、やはり2006年5月以外にはあり得ないという結論になった。瓶底にほんの数10cc残った状態で、空気を抜くでも窒素を充填するでもなく、単にコルクを戻して30ヶ月常温放置で何でこんなに健全な状態なのかメチャクチャ不思議。こういうワインを飲むと、残念な状態のワインは一体どんな来歴を経てきたのかとそっちがさらに謎。理由はともかく、枯れたボルドーは実に旨く大満足の大掃除であった。

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このページは、ueharaが2009年1月 3日 11:35に書いたブログ記事です。

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