地震@首都高

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昨日はこことかこことかで紹介されている地引網に行って来た訳だが、地引網自体については諸般の事情により他のサイトに譲るとして^^;地震の話である。

地震が起こったとき、首都高横羽線の川崎大師付近を(制限速度+?くらいで)快調に走行していた。そこへいきなりグラリと来た。車で走っていたときにグラリと来ても普通「地震だ」とは思わないんじゃないかと思うが、その時私は「穴ぼこに落ちた」と思った。しかし、通常、穴ぼこに落ちた場合には穴ぼこから出る時の突き上げられる感じの衝撃は落ちた時の比ではない訳だが、それが全然無かったので、次にパンクを疑った。が、加減速とかハンドル操作に対して、頼りなくなる感じが無いことから、これまた除外。その後も揺れは収まらず(と、言ってもこの間数秒)、いい加減な工事で路面がうねりまくっている状態が継続している、というのが一番近いなぁ、とか思ったところでようやく地震に思い至った。
そう思って見ると、電灯がグワングワンという感じで揺れている。回りの車もすごくゆっくり走っていて、ハザードを出してる車もいる。多くの人は、この先のどこかで首都高が崩落していても驚かない、と思ったに違いない。
運転に影響があるほどの揺れは数秒か長くても10秒くらいで収まったが、多くの車はその後しばらく徐行運転をしていた(崩落を懸念してかどうかは知らないが)。ああいう状況で、揺れが収まった瞬間にいつものペースでブイブイ行ける人ってすごいなぁ、と妙な関心をしつつ、私自身は平和島料金所あたりまでは徐行とはいえないまでも、いつもに比べるとかなり控えめなペースでゆっくりと走った。
「何を今更」ではあるが、首都高のように緊急車両が通過する路肩も無いような道路で大規模な災害が起こったらどうなるんだろうと思うとかなりぞっとしたりもした。

車を運転中に大きな地震に遭ったのは初めてだったので、他の地震との比較はできないが、かなりな揺れを感じたので、震源地のあたりでは相当な被害が出ているに違いない、とその時は思った。その予測が大外れだったのが何よりである。

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昭和39年の新潟地震のとき、ワタシのオヤジは、トラックで材木を運んでいたのだが、「あれ、パンクかな」と思って、クルマを路肩に止めて、タイヤをチェックしたんだと。

そんとき、その前後に、「あれ、パンクかな」ということで自分のクルマを点検しているドライバーがずらっと並んでいて、それなりに壮観だったそうです。

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このページは、ueharaが2005年7月24日 23:53に書いたブログ記事です。

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