久米宏ニュースステーション降板
「やめる理由は三つ。もう自分で十二分にやったと思えること。スタミナ切れ。そして00年正月の復帰時に、あと3年という約束だった」
今朝のワイドショーで、彼の会見を見ました。ふーん、と思ったのは、彼が「僕は絶対ジャーナリストじゃないと思う。だって、この番組やめたら新聞読まなくなると思うもの。そんなジャーナリスト絶対いない。」と言っていたこと。
実は、書きかけのまま放置され、このBlogで日の目を見ていなかった文章に久米宏を取り上げたものがあった。その書き出しは、以下の通り。
「久米宏はあくまで芸能系の人間だと思う。ニュースキャスターというのはニュー
スステーションという番組の中で彼に振られている役割であって、彼の職業では
ない。ましてや彼はジャーナリストなどでは断じてない。」
この文章で言わんとしていたことは、だから久米宏はダメであるとか、ニュースステーションはダメであるとか、ではない。むしろまったく逆である。政治は職業政治家が担うべきか否か、という議論にも通じる話で、ニュースキャスターという役割は必ずしもジャーナリストが適職ではないということを言おうとしていた。
彼の優れた資質をジャーナリスト「ではない」という部分にのみ求めるものではないが、ジャーナリストとかそういう出身畑以前のもっと根本的なところでの感覚の鋭敏さが(月並みではあるけれど)、図抜けてるよなぁ、と。そういう久米宏の能力がもっとも遺憾なく発揮されていたのは、やはりなんと言っても「ぴったしカンカン」だと思う。ベストテンは誰がやってても似たような番組になっただろうけど、ぴったしカンカンは久米宏がいないと、どうにもならなかっただろう。だって、企画自体は実にどうってことない番組だもんねぇ。(しかし、それにしても木村太郎の鈍いコメントは何とかならないものか(笑)?)
その久米宏に「TVスクランブル」という器を用意したプロデューサーもなかなかのものだと思う。あの番組は相当良かった、しかも、あれがなければニュースステーションはなかった、が、なかった方が良かったのかも、と思わないでもない...と、自分でも何を書いているかわからなくなってきたので、この辺で...
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