人に薦められて、初めて矢作俊彦を読んだ。彼の初期の作品の主たる発表の舞台であったミステリマガジンを毎月買っていたこともあり、名前を知ってから30年近くになるはずだが、何故か一度も手に取らなかった。
日本のハードボイルド作家はたいていレイモンドチャンドラーに心酔して病膏肓モードで自作をチャンドラーの似姿に仕上げるわけだが、似姿度でピカ一なのは何と言っても「原りょう」だ。しかし、「ピカ一」と言うと他と比較した上で言っているようだが、実は原りょう以外に日本のハードボイルドなんか読んだことも無かったのである。ある日、「原りょうはいい」と触れ回っていたら、友人に「お前、矢作俊彦は読んだのか」と言われたことがある。その時は「無い」と答えて、相手に呆れられたところで終わっていたわけだが、先日またまた飲み会で話題が原りょうに及んだ際に、「原りょうもいいけど矢作俊彦を読んだ方がいい」と言われ、何度目かの正直で手にとってみたという次第である。
読むと冒頭からいきなりハードボイルドのお約束満載である。ちょっと過剰かと思うほどに。読んでいて、何故か大友克洋の絵が浮かんできた。小説と漫画ではあるが、どこか共通点があるようだ。後付けで考えたことではあるが、作者の意図を克明に反映する過剰なまでの書き込み、背後の思想とは裏腹なポップなタッチ、というあたりに通じるものがあるように思う。
矢作俊彦がポップアートだとしたら、原りょうは伝統工芸の世界だ。完全に「ハードボイルド道」の世界である。どちらがどうかと言われると難しいが、日本の熱狂的なチャンドラーファンの気持ちをうまく掬っているのは原りょうの方ではないかと思う。
日本では世界でも最も純粋なチャンドラーファン達が一心にチャンドラー道を歩んでいるのだ。英語が苦手だったり、米国文化をよく理解していなかったりすることがちょっとお茶目な方向に作用して、チャンドラーのちょっとした書き損じも、裏の裏の裏まで勝手に読んで解釈して、美化するようなそういう「チャンドラー道」を歩んでいるのだ。この「チャンドラー道」の正統な師範たり得るのはやはり原りょう館長しかないでしょう、という感じだ。
と書くとハードボイルドファンをえらく馬鹿にしているように思われるかも知れないが、そうではない。しかしながら、長い間(原りょうが出てくるまで)日本のハードボイルドを手に取らずにいたのは、その辺の「○○道」的雰囲気のせいかも知れないとは思うのだ。
なんか、全然矢作俊彦の感想でなくなりつつあるが(笑)、矢作と原のどちらを支持するかで、チャンドラー道の流派を問われそうなそんな感じだ。
続きがない~
続きがない~
アメリカ人の多くがチャンドラーを知らないことを10数年前に知り驚いたことがあります。
空気が乾いた土地でないと、ハードボイルドは温泉卵のようになると信じております。
原りょうの新作がもうそろそろ出ても良い頃かなぁと思い、
あれこれ検索していたらここに辿り着きました。
今更ですが、チャンドラーの流れであれば、
稲見一良の『セント・メリーのリボン』や『猟犬探偵』は共感いただけるかもしれません(光文社文庫で読めます)。
稲見一良もチャンドラーの影響大の作家でしたから。
既読かもしれませんが、書かせていただきます。